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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)13423号 判決 1989年7月04日

原告 鳥越清子

右訴訟代理人弁護士 阿部三郎

右同 古瀨明德

右同 八代ひろよ

右同 花岡光生

原告補助参加人 入江和子

右訴訟代理人弁護士 中尾正信

被告 大木常治

右訴訟代理人弁護士 鈴木俊美

主文

1  原告の主位的請求を棄却する。

2  被告は、原告から金七〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を明け渡せ。

3  被告は、原告に対し、昭和六二年九月四日から右明渡し済みに至るまで一か月金四五〇〇円の割合による金員を支払え。

4  原告のその余の予備的請求を棄却する。

5  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  (主位的)

被告は、原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を明け渡し、かつ、昭和六二年九月四日から明渡し済みに至るまで一か月金四五〇〇円の割合による金員を支払え。

2  (予備的)

(一) 被告は、原告から金四六八万円又は裁判所の決定する額の立退料の支払を受けるのと引換えに、原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を明け渡せ。

(二) 主文第3項と同旨。

3  主文第5項と同旨。

4  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、被告に対し、別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という。)のうち、東側半分に当たる同目録(二)記載の部分(以下「本件建物部分」という。)を賃料一か月四五〇〇円で、期間の定めなく賃貸している(以下「本件賃貸借契約」という。)。

2  原告は、被告に対し、昭和六二年三月三日、同日から六か月の経過をもって本件賃貸借契約を解約する旨の申入れをした。

3  原告の右解約申入れには、次のとおり正当の事由がある。

(一) (主位的)

(1) (本件建物の老朽化)

本件建物は、昭和二〇年ころ、粗悪な材料で建築された木造の建物であって老朽化しており、大修繕ないし建替えをする必要がある。

(2) (敷地賃借権の処分の必要性)

原告の夫である鳥越藤兵衛(以下「藤兵衛」という。)は、本件建物の敷地である別紙物件目録(三)及び(四)記載の各土地(以下、それぞれ「九九〇番三の土地」、「九九〇番一二の土地」といい、両者を併せて「本件敷地」という。)を、その所有者である藤井作蔵から賃料一か月三九〇〇円(現在二万六〇〇〇円)、期間昭和四三年一一月一日から二〇年間の約定で賃借し、原告は、昭和四九年一二月一〇日、藤兵衛の死亡により本件建物所有権と本件敷地賃借権を相続したものであるところ、前記(1)のとおり本件建物は大修繕の必要があるものの、通常の修繕の域を越える大修繕をするには藤井との関係を考慮しなければならないために困難であり、また、昭和六〇年初めに被告が修繕に要する費用として提示した見積り額は、一二五万八〇〇〇円であって、一か月当たりの家賃の約二八〇倍もの高額にのぼり、原告は七九歳の高齢で資金も収入もないため、かかる大修繕をなすことは不可能であった。

そうかといって、借地権の残存期間が迫っており、そのまま放置しては本件建物の朽廃により土地賃借権が消滅してしまうため、原告は、藤井に対し、本件敷地賃借権の譲渡承諾を求める調停を申し立てた結果、昭和六一年一一月二七日、原告が本件建物を収去したうえで、原告の九九〇番三の土地賃借権と藤井の九九〇番一二の土地所有権とを等価交換する旨の調停が成立した。

したがって、原告は右等価交換実現のために本件建物部分の明渡しを受け、本件建物を収去する必要がある。

(3) (補助参加人の納税資金捻出の必要性)

昭和五六年ころ、藤兵衛の非摘出子と称する補助参加人と原告との間で、藤兵衛の相続財産をめぐる紛争が生じ、昭和五七年七月九日に成立した調停により、本件敷地賃借権のうち三分の二が原告に、その余が補助参加人にそれぞれ帰属することが確認されたが、補助参加人は、藤兵衛の死亡に伴う相続税二二四万四八〇〇円(延滞税を加えると既に六〇〇万円を下らない。)を滞納しており、かつ、原告は補助参加人が納付すべき相続税の連帯納付責任者として、昭和六三年一月一三日、預金の差押えを受けたところ、補助参加人には本件敷地賃借権以外に見るべき財産がないため、原告は早急に本件建物部分の明渡しを受け、藤井との等価交換によって取得すべき九九〇番一二の土地を処分し、その売却代金を前記割合に従って補助参加人と分配することにより、補助参加人に右相続税を納付してもらう必要がある。

(4) (被告との明渡し交渉の経緯)

原告は、被告から本件建物の修繕を要求されたこともあって、昭和六〇年初めから被告との話合いを続け、移転料の支払を条件に本件賃貸借契約の解約を申し入れたがまとまらず、更に昭和六二年三月二日には調停を申し立て、立退料として一〇〇万円を提示したものの、被告が一〇〇〇万円を要求して歩み寄らず、結局同年六月二九日不調に終った。

(二) (予備的―立退料の提供)

原告は、被告に対し、昭和六二年三月三日の解約申入れと同時に、適正な立退料支払の意思があることを表明し、その後、昭和六二年三月二日に申し立てた前記調停の席において、立退料として一〇〇万円を提示し、更に、平成元年二月二八日の本訴口頭弁論期日において、四六八万円の支払を申し出た。

4  よって、原告は、被告に対し、本件賃貸借契約の終了に基づき、主位的に無条件で、仮に、前記3の(一)の事由のみでは解約の正当理由として不十分である場合には、予備的に原告が四六八万円又はこれと格段に相違のない範囲内で裁判所の決定する金額を支払うのと引換えに、それぞれ本件建物部分を明け渡すよう求めるとともに、解約申入れから六か月を経過した日の翌日である昭和六二年一〇月四日から右明渡し済みに至るまで一か月四五〇〇円の割合による賃料相当の損害金を支払うよう求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び同2は認める。

2  同3の(一)について、(1)は認める。(2)のうち、藤兵衛が昭和四九年一二月一〇日に死亡したこと、被告が修繕費用として一二五万八〇〇〇円の見積りを提示したこと及び原告が藤井に対して調停を申し立てたことは認めるが、その余は知らない。(3)は知らない。(4)のうち、原告が調停において申し出た立退料が一〇〇万円であり、被告の要求額が一〇〇〇万円であったことは否認するが、その余は認める。原告は、本件建物の居住者一人につき一〇〇万円の支払を提案し、被告は、本件建物の西側半分に居住していた分離前相被告新井よし(以下「新井」という。)とともに合計二〇〇〇万円を要求した。

同(二)のうち、原告が解約申入れ時に移転料の支払を申し出たことは認める。調停における提示額についての認否は、右(一)(3)に対する認否のとおりである。

三  抗弁

1  (本件建物の老朽化に対する原告の責任)

本件建物は、終戦のころ、廃材を利用して建てられたもので、頻繁に修繕をする必要があったが、原告は、現在まで一度も本件建物の修繕をしたことがなく、被告が賃料値上げを受諾する意向を示したうえで修理を要請しても応じず、かえって、台所の床板や土台の補修、廊下の板や屋根瓦の取替え、玄関や屋根の修理など、本来賃貸人が負担すべき修理まで、すべて被告において実施してきており、仮に被告による修繕がなければ本件建物はとっくの昔に朽廃していた。このように、老朽化を招来せしめた責任は原告にあり、賃貸人として当然なすべき本件建物の維持・管理義務を全く履行していないにもかかわらず、老朽化したという結果のみをとらえて自己に都合のよい明渡し請求をする原告の態度は、信義則に反し、許されない。

2  (地主との一方的合意の不当性)

原告は、一方では、地主との間において、本件敷地の賃借権が存続していることを前提に、原告が本件敷地の一部である九九〇番一二の土地所有権を取得することを内容とする調停を成立させて借地権価格を確保し、他方では、地主との交渉に被告を参加させることもなく、自ら招来した老朽化を理由として被告に本件建物部分からの退去を迫っており、余りに身勝手である。

3  (被告の本件建物部分居住の必要性)

被告は、現在七七歳であって、本件建物部分に七一歳の妻と同居しており、両名の一か月当たりの収入は、被告の厚生年金約一一万円、妻の国民年金約一万円だけである。そして、両名には所帯を持っている四人の子供がいるが、長男は、四人家族で部屋数の少ない都内の賃貸マンションに居住し、海外勤務も多く、長女は他家へ嫁いでいるため、被告夫婦の同居は不可能であり、次男は五人家族で船橋市において、三男は四人家族で成田市においてそれぞれ一戸建てに居住してはいるが、いずれも建物が狭いため、現状のままで被告夫婦が同居するのは無理であって、被告は本件建物部分に居住し続ける必要がある。加えて、被告は、四〇年以上も本件建物で生活し、現在は自治会の役員もしていて、近所に友人や知人が多く、また、本件敷地上には被告が丹精を込めて植栽した庭木があって、これらを処分することによって被告の被る精神的苦痛は計り知れない。

4  (原告提示の立退料の不当性)

被告は、藤兵衛の要求により、昭和三一年七月より昭和四〇年一二月まで、本件敷地の地代を藤井に支払ったことがあるほか、仮に本件建物部分を明け渡して従前と同等の生活を維持しようとすれば、右3の事情から新たに住居を賃借せざるをえず、そのための移転費用等の実費だけでも一〇〇万円近い出費が予想され、毎月の賃料負担も七万円以上になり、また、相続財産評価基準や割合方式によって算出した本件建物全体の借家権価格は、約一二〇〇万円から一七〇〇万円になるから、原告の提示する金額の立退料では、到底正当事由を補完するに足らない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、被告が本件建物の修繕をしたことは知らないが、その余は否認する。本件建物の材料は劣悪であって、原告が修繕をしてきたとしても、どの程度老朽化を阻止しえたか疑わしい。また、被告は、本件建物部分を極端に低い賃料で長期間賃借しているから、原告の修繕義務が不十分だったとしても、十分に経済的利益を得ている。

2  同2は否認する。借地上の建物の現況を踏まえて借地権をどう処分するかは、借地権者である原告の自由に決定しうる事項であるし、原告は、藤井との調停において、借地権の譲渡、本件建物の建替え等の諸条件を検討した結果、地主との等価交換契約を選択したものである。

3  同3は知らない。

4  同4のうち、被告が地代を支払ったことは否認するが、その余は知らない。被告は、藤兵衛の使者として地代を持参したにすぎない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び2の各事実並びに本件建物が昭和二〇年ころ粗悪な材料で建築された木造の建物であって老朽化しており、大修繕の必要があること、藤兵衛が昭和四九年一二月一〇日死亡したこと、被告が昭和六〇年初め、原告に本件建物の修繕を要求し、修繕費用として一二五万八〇〇〇円の見積りを提示したこと、そのため、原告は被告との話合いを続け、移転料の支払を条件に本件賃貸借契約の解約を申し入れたがまとまらず、更に昭和六二年三月二日には調停を申し立てたが、同年六月二九日不調に終わったことは、いずれも当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次のような事実が認められる。

1  本件建物については、昭和二二年に寺西徳一名義の所有権保存登記がなされていたものの、その実質的な権利者をめぐって、寺西徳一及びその父である寺西浅吉と藤兵衛との間で争いがあったところ、藤兵衛は、昭和四六年二月一九日、本件敷地の所有者である藤井との間で、藤兵衛が本件敷地を木造建物所有目的で昭和四三年一一月一日から二〇年間の約定により賃借していることを確認する旨の公正証書を作成し、更に藤兵衛が死亡した後、藤兵衛の非摘出子と称する補助参加人と原告との間で藤兵衛の相続財産をめぐる争いが起きた際、原告と補助参加人は、昭和五七年七月五日成立した調停(市川簡易裁判所昭和五六年(ノ)第五号)において、本件敷地の賃借権につき、補助参加人が死因贈与により持分三分の一を、原告が相続により持分三分の二をそれぞれ取得したことを確認するとともに、右取得に伴う借地権者の変更に対する藤井の承諾取得、本件建物の所有名義の回復及び被告に対する明渡し請求を協力して実行する旨約束し、右合意に基づき原告は、昭和五八年、寺西徳一(昭和五二年ころ死亡)の相続人である妻・寺西美代子及び長男・寺西巧に対し、本件建物は藤兵衛が建築してその所有権を取得し、寺西徳一から名義を借用して保存登記していたものであるとして、真正な登記名義回復を原因とする所有権移転登記手続請求訴訟を提起し(千葉地方裁判所昭和五八年(ワ)第八〇〇号)、寺西美代子及び寺西巧がいずれも第一回口頭弁論に出頭しなかった結果、欠席判決により勝訴して、同判決は昭和五八年一一月六日に確定し、同月一五日には原告を権利者とする所有権移転登記がなされ、更に原告は、本件建物の老朽化が進み、かつ本件敷地賃借権の残存期間が迫ってきたため、右賃借権の価値を保全すべく、昭和六〇年、藤井を相手方として借地権譲渡承諾の調停を申し立て(市川簡易裁判所昭和六〇年(ユ)第二七号)、右調停は、補助参加人が利害関係人として加わったうえで、昭和六一年一一月二七日に成立したこと、

2  右調停の成立内容は、本件敷地に対する権利比率を底地所有権五五パーセント、借地権四五パーセントと定めたうえで、原告及び補助参加人の九九〇番三の土地賃借権と藤井の九九〇番一二の土地所有権とを等価交換し、その履行として原告及び補助参加人は、平成二年一〇月三一日までに本件建物を収去して九九〇番三の土地を藤井に明け渡すものとするが、本件敷地の賃貸借契約の終期である昭和六三年一〇月三一日までに右明渡しを履行できなかったときは、賃料(六か月一五万六〇〇〇円)を三〇パーセント増額のうえ本件敷地の賃貸借契約を合意更新し、なお平成二年一〇月三一日に至っても右明渡しを完了しなかったときは、原告及び補助参加人は右の更新料として三〇〇万円を藤井に支払い、藤井は、いつでも等価交換契約を解除し、かつそれによって被った損害の賠償をなしうる旨の合意だったこと、

3  補助参加人は、藤兵衛の死亡に伴う相続税二二四万八〇〇円及び昭和五〇年六月一一日以降の延滞税を滞納しており、原告も、補助参加人の滞納国税の連帯納付責任者として、銀行預金債権六五〇万円の差押えを受けたが、補助参加人には本件敷地賃借権三分の一以外にめぼしい財産がないため、原告としては、藤井との等価交換契約の履行によって九九〇番一二の土地所有権を取得のうえ売却処分し、その売却代金の三分の一の中から補助参加人に滞納国税を納付してもらうほかなく、それには本件建物の収去が必要になること、

4  もっとも、原告自身は、本件敷地賃借権以外に、船橋市海神三丁目内の宅地約二七〇平方メートル及び山林二〇平方メートル(いずれも登記簿の記載による。)を所有し、右土地上の一部に居住していること、

5  他方、被告は、寺西浅吉と仕事上の交際があり、昭和二〇年三月ころ、同人が本件建物を買い取ったと聞き、同人から入居を勧められて本件建物の東側半分に当たる本件建物部分に入居したため、それ以来、同人が本件建物の所有者であり、かつ本件敷地の賃借人であると考え、しかも、同人から世話になった謝礼として本件建物を贈与する旨告げられていた関係で、昭和三二年一二月までは賃料を支払っていなかったが、寺西浅吉が昭和二一年に死亡し、その遺族は大阪地方に在住するようになり、その後、本件建物西側部分の居住者が藤兵衛(昭和二一年ころから昭和二九年ころまで)、清水亥之太郎、新井と順次変わっていった中で、昭和三三年になって、藤兵衛から清水亥之太郎を介して家賃の支払を請求されたため、被告は、藤兵衛が寺西の遺族から本件建物の管理を任されているものと理解して、以後昭和四一年六月までは月額一七五〇円、同年七月から同年一二月までは三〇〇〇円、昭和四二年及び昭和四三年は四三〇〇円、昭和四四年以降は四五〇〇円と、昭和四六年四月まで藤兵衛の言うとおりに家賃を支払い、藤兵衛も昭和四二年分の家賃の領収証綴りの表紙には「寺西徳一代人」と記載していたものの、被告は、本件建物部分への入居に際し右の経緯があったため、藤兵衛が本件建物の所有者のように行動することに納得がいかなくなり、昭和四六年五月分から昭和五九年一月分までは大阪の寺西徳一又はその遺族宛に家賃を送金したほか、寺西徳一とともに藤井を訪問したり、昭和五八年六月には寺西巧らに対して本件建物の所有権譲渡を要請したりしていたこと、

6  ところが、本件建物の所有名義人が原告になったことから、被告は、昭和五九年二月、原告に対し改めて本件建物の賃貸人が誰かを照会したところ、原告の所有物で原告が賃貸人である旨の回答があったため、釈然としないまま、再び原告に家賃を支払い始める一方で、翌昭和六〇年初頭には二回にわたり本件建物の修繕を原告に要求し、見積書を送付するなどしたが、原告は、同年五月、家賃が月額四五〇〇円と低額にもかかわらず賃貸人が修繕義務を負うと解するのは公平に反するとして、右要求を拒否するとともに、地主との間において本件敷地賃借権の譲渡に関する交渉を継続中であり、本件賃貸借契約を解約したい旨伝えてきたこと、

7  被告が本件建物部分に入居して以来、藤兵衛や原告がその修繕をしたことはなく、ふすまの張り替えや畳の交換はもとより、屋根瓦の取替え、雨戸、屋根、廊下、便所、玄関、台所等本件建物部分全体にわたって、必要な修理をすべて被告が実施し、その回数も数え切れないが、本件建物は、そもそも古材を再築主材として利用した簡易施工による建物であって施工上の不備も多かったと推測され、土台も置石の独立基礎と大谷石による布基礎にすぎず、しかも築後四〇年以上経過しているため、右基礎の一部に沈下が見られ、床にも地盤の影響で生じた腐食による傾斜や凹凸が現れ、内部の柱や敷居等に隙間が生じ、外壁の剥離や屋根の破損も激しいなど、ほぼ朽廃の域に達しており、外圧がなかったとしても耐用年数はあと二、三年にすぎず、もはや小修繕の繰返しによってその維持を図るのは困難であること、

8  もっとも、右老朽化は、昭和五〇年以来全く修繕をしていない西側の新井居住部分に、より顕著に見られること、

9  被告は、現在七七歳であって、七一歳になる妻・美枝子と同居しており、両名の年収は、被告の厚生年金約一三〇万円、妻の国民年金約一三万円にすぎず、両名には所帯を持っている四人の子供がいるものの、長男は、四人家族で部屋数の少ない都内の賃貸マンションに居住し、海外勤務も多く、長女は他家へ嫁いでいるため、被告夫婦との同居は不可能であり、また、次男は五人家族で船橋市において、三男は四人家族で成田市においてそれぞれ一戸建ての住居に居住しているがいずれも建物が狭いため、やはり現状のままで被告夫婦が同居するのは困難であるほか、本件敷地上には被告の妻が丹精を込めて植栽した庭木があり、本件建物部分を明け渡すとなると、それらも処分しなければならないこと、

以上のような事実が認められ、同認定を覆すに足りる証拠はない。

右に認定した事実によれば、本件建物は著しく老朽化して朽廃に瀕し、既に建替えの必要な時期に至っているのは明らかであって、社会経済的観点からみればもはや修繕不能と評価すべきであるから、賃貸人たる原告になお通常の修繕義務があるということはできず、かかる場合、建物の賃貸人としては、建物が朽廃してその効用が完全に尽き果てるに先立ち、大修繕や改築等によりその効用期間の延長をはかることはもちろん、建物の敷地利用権が借地権であり、地上建物の朽廃によって借地権の消滅を招く虞がある場合には、借地権の保全をはかるために必要な手段を講ずることもまた、正当な権利の行使として許されるものといわなければならず、そのための建物賃貸借契約解約の必要性が、賃借人の建物使用の必要性に勝るならば、解約の正当事由を満たすこともあると解すべきである。

そして、原告は、本件建物の朽廃が切迫すると同時に本件敷地賃借権の残存期間が少なくなった昭和六一年、右借地権を保全するために、地主である藤井と協議した結果、原告及び補助参加人の有する借地権の本件敷地所有権に占める割合を確認したうえで、原告及び補助参加人が本件建物を収去するかわりに本件敷地の賃借権との等価交換という形で九九〇番一二の土地所有権を取得し、本件敷地の賃貸借契約を解消する旨の合意に達していて、平成二年一〇月三一日までに本件建物の収去を行わないと、藤井から等価交換契約を解除される虞があり、しかも、原告は、補助参加人の国税滞納のために預金の差押えを受け、本件敷地賃借権以外に見るべき資産のない補助参加人をして滞納国税の納付資金を調達させるためにも、右等価交換によって取得すべき九九〇番一二の土地所有権を売却換価しなければならないというのであるから、その前提として本件建物解約の必要性があるということができるし、また、原告が賃貸人としての修繕義務を果たしていなかったことは被告主張のとおりであるが、本件建物の賃料が長期間低額だったことや解約に臨む原告の交渉態度等を考慮すれば、本件建物の老朽化を理由とする原告の解約の申入れをもって信義則に反する権利の行使にあたるとまでいうことはできない。

しかしながら、他方、被告夫婦には現在のところ本件建物部分以外に住いはなく、子供と同居するには建物の増築等の準備が必要であり、別の場所に住居を求めるにしても高齢ゆえの困難を伴うことが容易に推察されるのであって、被告にとって本件建物部分に居住し続ける必要性が強いことも明らかである。また、被告によって必要な補修の行われてきた本件建物部分の老朽化の程度が、一〇年以上も修繕がなされていない西側半分に比べて軽いことを考えると、本件建物の維持管理に果たしてきた被告の役割は決して無視することができないといわざるをえず、しかも、原告は本件敷地賃借権のほかにも土地を所有しており、経済的に本件敷地賃借権の処分がその生計維持のための唯一の手段であるとまでいうことはできない。

これらの諸事情を比較すれば、原告の本件賃貸借契約解約の必要性は、いまだ無条件での被告に対する明渡し請求を正当とするほど、被告の本件建物部分居住の必要性に勝っていると認めることはできない。

二  しかしながら、本件建物の現況から、被告が本件建物部分の明渡しを余儀なくされるのは時間の問題であり、明渡し問題の早期解決によって原告の得る利益を考慮すると、原告が被告に対し相当の立退料を支払うことにより、被告が他所に住居を求め、あるいは子供と同居すべくその住居を増築するのに必要な資金の相当分の手当てがなされるならば、移転に伴うそれ以外の精神的苦痛等は被告において容認すべきものということができ、被告の本件建物部分居住の必要性が緩和される結果、原告の解約申入れは、立退料の支払を補強条件として正当理由を具備するものと考える。

そして、《証拠省略》によれば、地下鉄線の延伸により、数年後には本件敷地の近くに地下鉄の駅ができる予定になっていること、本件建物部分につき、公共用地の取得に伴う損失補償基準を参考にし、移転そのものに対する補償や移転先の家賃負担増の補償という観点から被告の立退料を算出すると、約四六八万円と評価されるが、この評価には、被告の従前の修繕状況や移転に伴う高齢ゆえの困難等、本件における原・被告間の個別事情や地下鉄線の延伸予定は一切考慮されていないこと、取引事例比較法を基本として算出される本件敷地の評価は、一平方メートル当たり五〇万円であり、これによると原告及び補助参加人が藤井との交換契約によって取得すべき九九〇番一二の土地(一九三・一一平方メートル)の地価は、九〇〇〇万円以上(うち原告の持分は三分の二)になることが認められるところ、当裁判所は、右事実のほか、本件に表れた前記認定の諸般の事情を総合考慮して、本件において正当事由の補強条件足りうる立退料の額は七〇〇万円をもって相当と認める。

ところで、原告が、昭和六〇年から移転料の支払を条件に本件賃貸借契約解約を希望し、昭和六二年三月三日の解約申入れと同時に、適正な立退料を支払う意思のあることを表明したほか、昭和六二年三月二日に申し立てた調停においても立退料を提示したことは当事者間に争いがなく、平成元年二月二八日の本訴口頭弁論期日において、原告が四六八万円(場合によっては裁判所の決定する金額の立退料)の支払を申し出たことは当裁判所に顕著であって、かかる原告の立退料提供の経緯に鑑みると、右に認定した七〇〇万円は、昭和六二年三月三日の解約申入れと同時に原告が支払意思を表明した立退料と比べて著しい差異を生じない範囲内にあり、同日において原告にはその支払の意思があったということができるから、右解約申入れは正当事由をそなえた有効なものであり、したがって、本件賃貸借契約は、同日から六か月を経過した同年九月三日の満了により終了したと認められる。

三  以上の次第で、原告の主位的請求は全部理由がないからこれを棄却し、予備的請求は、原告において被告に対し立退料として七〇〇万円を支払うのと引換えに本件建物の明渡しを求めるとともに、昭和六二年九月四日から右明渡し済みに至るまで一か月四五〇〇円の支払を求める限度で理由があるからこれを認容するが、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条ただし書を適用し、なお、仮執行宣言の申立てについては相当でないからこれを却下して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大澤巖 裁判官 土肥章大 萩本修)

<以下省略>

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